お話
俺の妻・ミキは、二週間前に自宅のベランダで足を滑らせ、運悪く額を強く打ってしまった。それ以来、彼女はベッドの上でぼんやりと過ごすことが多くなった。 「ミキ、大丈夫か? 今日は天気がいいぞ」 声をかけても、彼女は焦点の合わない目でこちらを見るだけで、時折、喉の奥で小さく唸るだけだ。
医者は「脳への衝撃は軽微だが、精神的なショックが大きいのだろう」と言っていた。 俺は会社に長期休暇を申請し、ミキの看病に専念することにした。俺が驚かせたせいで彼女は転んだのだ。俺が一生、彼女を守らなければならない。 「ほら、ミキ。お粥作ったぞ。あーん」 俺は毎日、三食すべてを手作りし、彼女の口元へ運んでやった。彼女が拒否しても、俺は「食べないと元気にならないだろ?」と優しく諭し、時間をかけて食べさせた。
今日、久しぶりに義母(ミキの母)が見舞いに来た。 義母は、痩せて生気を失ったミキの姿を見て、俺を睨みつけた。 「あなた…本当に、ミキは自分で転んだの? この子の額の傷…転んだだけにしては、酷すぎない…?」 「何言ってるんですか、お義母さん! 僕はミキを献身的に看病してるんですよ!」 俺が声を荒げると、義母は「ごめんなさい…」と怯えたように目を伏せ、すぐに帰ってしまった。ひどい言いがかりだ。
義母が帰った後、俺はミキのベッドの横に座った。 「ひどいよな、ミキ。俺が、お前を傷つけるわけないのにな」 俺はミキの冷たい頬を優しく撫でた。 その時、ミキが(いつもは虚ろな目で俺を見るだけなのに)、ビクッと全身を強張らせ、恐怖に引きつった顔で俺の手から逃れようとした。
俺は、その反応を見て、無性に腹が立った。 (なんで、俺の優しさが分からないんだ?) イライラしながら部屋の窓に目をやると、窓ガラスに映った俺の顔が、怒りのせいで奇妙に歪み、口角が吊り上がっているように見えた。
俺は、ふと思い出した。 二週間前、ベランダで。 俺が「なんで俺の言う通りにしないんだ!」と彼女を突き飛ばした時のことを。 彼女が倒れ、額から血を流しても、まだ俺を「化け物を見るような目」で睨みつけてきた時のことを。 だから俺は、彼女が「良い子」になるまで、何度も…。
「ウゥ…」 ベッドで、ミキが恐怖に唸る声が聞こえた。
解説
一見、事故で心を閉ざした妻を、夫が献身的に看病するが、義母に疑われてしまう悲しい話に見える。 しかし、違和感は「義母の所見(転んだだけにしては酷い傷)」と「妻が夫の手にだけ異常な恐怖反応を示した」こと。 真相は、妻が寝たきりなのは「事故」ではなく、夫(主人公)による日常的な「暴力(DV)」が原因。あの日、ベランデで夫は妻に重傷を負わせた。 主人公は、その事実を「妻が勝手に転んだ」という記憶にすり替え、「献身的な夫」を演じることで、自分の加害行為を正当化し、妻を完全に支配(監禁・飼育)している。 彼が鏡で見た「歪んだ顔」こそが、妻を支配する加害者としての本性だった。


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