お話
中古の一軒家に引っ越して一ヶ月。私は、この家の古いドラム式洗濯機が苦手だった。 夫は「まだ使えるんだから」と言うが、回すと「ゴウン、ゴウン」と重い音がするし、何より、なぜか洗面所の隅(脱衣所)ではなく、薄暗い地下室の片隅にポツンと置かれているのが不気味だった。
特に深夜、夫が寝静まった後に洗濯を回すのが嫌だった。 深夜の静寂の中、地下室から響いてくる「ゴウン…ゴウン…」という音に混じって、 「ガリッ…ガリッ…ガリガリッ…」 まるで、誰かが内側から硬いものでドラムを引っ掻くような、甲高い音が聞こえるのだ。 (きっと、服のジッパーか何かが当たってる音よね…) 私はいつも、そう自分に言い聞かせていた。
その夜も、私は深夜に洗濯機を回していた。 案の定、地下室から「ガリガリガリッ!」と、ひときわ大きな音が響く。 直後、運転が止まった。エラー音も鳴らない。ただ、静かになった。 (見に行くしかないか…) 私は恐る恐る、地下室への階段を下りた。
洗濯機は、中途半端な角度で止まっていた。 「もう、なんで…」 私が扉(フタ)を開け、濡れた洗濯物を取り出そうと手を突っ込んだ、その時。 指先に、何か硬いものが触れた。
それは、夫のYシャツに絡みついていた、薄汚れた「爪」だった。 三日月型に欠けた、人間の、親指の爪だった。
全身に悪寒が走った。 (どうして、こんなものが…?) 私は、洗濯機のドラム(内側)を覗き込んだ。
そして、見てしまった。 ステンレス製であるはずのドラムの内壁が、無数の、おびただしい数の「引っ掻き傷」で、白くささくれていたことを。 まるで、内側に閉じ込められた誰かが、外に出ようと必死で…。
解説
一見、古い洗濯機の不気味な故障(と、たまたま紛れ込んだ爪)の話に見える。 しかし、違和感は「ドラムの内側に、おびただしい数の引っ掻き傷があった」こと。 真相は、「ガリガリ」という音は、ジッパーの音などではなかった。それは、この家の前の住人(あるいは別の誰か)が、何者かによってあの洗濯機に閉じ込められ、絶命するまで内側から必死で爪を立てて「引っ掻き続けた」音、そのものだった。 主人公が聞いた音は、機械の音ではなく、今もなお繰り返され続けている、その時の「絶望の音(残留思念)」だったのだ。 彼女が見つけた「爪」は、その時の「本物」である。


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