お話
夏休みに入り、娘のミオは近所の公園の砂場がお気に入りだった。毎日、小さなスコップとバケツを手に「お砂場遊び行く!」とせがむので、私も日課のように付き合っていた。ある日、いつものようにミオが砂山を作っていると、公園の隅に移動販売の車が停まった。鮮やかな赤と白のストライプ。風船を持ったピエロが、車の窓から顔を覗かせている。「ハーイ!みんな、遊びに来てねー!」と、甲高い声が響く。ミオは「ピエロさんだ!」と目を輝かせ、たちまち夢中になった。
ピエロは毎日同じ時間に公園にやってきた。最初は遠巻きに見ていた子供たちも、親しげな態度と無料で配られる小さな風船に惹かれ、すぐにピエロの周りに集まるようになった。ミオも例外ではなかった。「パパ、今日のピエロさん、ねこのお顔だったんだよ!」と、毎日違う動物のメイクで現れるピエロの顔を、目を輝かせて報告してくれた。私も、子供たちを楽しませるピエロのプロ意識に感心していた。彼は子供たちの名前をすぐに覚え、特にミオには優しく声をかけてくれた。「ミオちゃん、今日も可愛いね!何を作ってるの?」
そんな日が数週間続いたある夕方、事件が起きた。ミオが砂場で遊んでいると、突然「キャアアアア!」という絶叫が公園に響き渡った。見ると、ブランコで遊んでいた男の子が、勢い余って地面に落ち、頭から血を流している。他の子供たちはパニックになり、泣き叫ぶ声が響く。私も急いで駆け寄ろうとしたその時、ピエロが男の子の元へ一番に駆け寄った。彼は素早くハンカチを取り出し、男の子の頭を押さえた。「大丈夫、大丈夫だよ。すぐ救急車を呼ぶからね」ピエロの落ち着いた声が、一瞬で場の混乱を鎮めた。
救急車が到着し、男の子が運ばれていくのを見届けた後、公園には重い静寂が訪れた。子供たちも帰り、残ったのは私とミオ、そしてピエロだけだった。「大丈夫でしたか…?」私が声をかけると、ピエロは俯いたまま、力なく首を振った。「子供の怪我は、見てるこっちも辛いね。特に顔に傷が残るようなことになったら…」彼の顔は、いつもの笑顔ではなく、深い悲しみに覆われていた。その日、ミオは珍しく口数が少なかった。
夜になり、ミオはベッドに入ってからも落ち着かない様子だった。「パパ、あのね…」と、小さな声で話し始めた。「今日、ピエロさん、お化粧してなかったんだよ」。私はその言葉に首を傾げた。(いつも凝ったメイクをしているのに、今日は違ったのか?)そんなことを考えていると、ミオはさらに続けた。「それでね、頭から血が出てる男の子の顔を見たとき…ピエロさん、笑ってたんだよ」。私はミオの言葉の意味が理解できず、ただ混乱したまま、隣で眠る娘の顔を見つめることしかできなかった。
解説
一見、子供好きなピエロが怪我をした子供を心配する話に見える。しかし、ミオの「ピエロさん、お化粧してなかった」という証言が、ピエロの真の目的を暗示している。 このピエロは、子供を楽しませるのが目的ではなく、子供の「顔」に異常な執着を持つ猟奇的な人物である。彼は、子供たちの「無垢な顔」を観察し、怪我や事故によってその顔が「歪む瞬間」や「傷つく姿」を見る機会を待っていた。普段のメイクは、子供たちを安心させ、自分を「無害な存在」として認識させるためのカモフラージュに過ぎない。絶叫が響き渡った際、彼が一番に駆け寄ったのは、助けるためではなく、男の子の「傷ついた顔」を間近で見るためだったのだ。メイクをしていなかったのは、素の感情が抑えきれず、衝動的に現場に駆けつけたためか、あるいはそれが彼の「素顔」であり、子供の不幸に直面した時にこそ現れる「真の顔」だったのかもしれない。主人公は、娘の無邪気な証言によって、日常に潜む純粋な悪意の片鱗を突きつけられたのだ。


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