お話
今日は祖母の一周忌だった。母と二人、少し早く実家を出て、裏山にある古びたお墓へ向かった。山道に入ると、朝だというのに妙に冷え込んでいた。この時季にしては珍しく、濃い霧が立ち込めていて、数メートル先も見通せない。母は「この霧も、おばあちゃんが呼んでいるみたいね」と笑ったが、その声はどこか強張っているように聞こえた。墓地に続く石段を登る。辺りは静寂に包まれ、墓石のシルエットがぼんやりと霧の中に浮かんでいる。
先週、二人で掃除に来たはずなのに、墓石はまた薄く埃をかぶっていた。母は慣れた手つきで水をかけ、ブラシで丁寧に磨き始めた。「お供え物、何にしたの?」と聞くと、母はリュックから白い紙に包まれた包みを取り出しながら答えた。「おばあちゃんが大好きで、亡くなる直前まで食べていた、あの『大きな赤い果物』よ。この季節だと手に入りにくいんだけど、いつもお世話になっている八百屋さんが特別に用意してくれたの。
墓石の前に清めた供物を並べ、線香をあげ、手を合わせた。濃い霧のせいで、周囲のお墓はほとんど見えず、自分たち以外誰もいないような錯覚に陥る。手を合わせ終わると、母は言った。「さあ、早く帰りましょう。こんなに霧が深いと、足元が危ないわ。それに、ご近所への挨拶回りもあるんだから」。急かされるように、私たちは墓地を後にした。山道を下り、霧が薄れていくのを感じながら、私はふと、母の言葉を思い出した。
あの『大きな赤い果物』。祖母は確かに大好きだった。しかし、ふと視界の端に映った、実家の玄関の隅に置いてあった日めくりカレンダーの日付を私は認識した。そういえば、亡くなる少し前の祖母は、体調を崩して寝たきりになって以来、固形物を一切口にできなくなっていたはずだ。あの時の献立は、いつも流動食ばかりだった。あの時、母は、なぜあんなに嬉しそうに「おばあちゃんが好きだった」と、あの『大きな赤い果物』を包んでいたのだろうか。足元を覆う霧のように、その違和感が頭の中にじわりと広がり、全身の血の気が引くのを感じた。
解説
「固形物を口にできなかったはずの祖母」に対して、母が「亡くなる直前まで祖母が食べていた」と発言があります。それは、母による意図的な殺害の可能性を暗示しています。母は、祖母が固形物を摂取できないことを知りながら、あるいはそれが致命的になると知りながら、祖母が強く求めていたその果物を「最後の願い」として与えてしまった。母にとって、この果物は「殺意の証拠」であり、「とどめの一撃」を象徴しています。一周忌に供物を捧げた行為は、祖母への供養ではなく、罪の意識を封印するための儀式だったのです。主人公が気づいた矛盾は、母の行動が愛情ではなく、恐ろしい秘密に基づいていたことを示しています。)


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