お話
私の所属する部署は、いつもピリピリしている。そんな中で、唯一の癒しが、別の部署の佐藤上司だ。彼は定年間近の年配の男性で、いつもニコニコと穏やかだ。私が給湯室でため息をついていると、よく「まぁ、頑張りすぎなさんな」と缶コーヒーを差し入れてくれる、優しい人だ。
佐藤上司は少し変わっていて、PCが苦手だと公言している。連絡事項はいつも、小さな付箋メモに手書きだ。私の机にも、よく「お疲れ様」「無理するなよ」といった励ましのメモが貼られていることがあった。誰が貼っているのかは謎だったが、筆跡で佐藤上司だと分かった。離れた部署からわざわざ歩いてきて、こっそり置いていってくれる。その親切が嬉しかった。
その日、私は大きなミスをした。重要なプレゼン資料の最終版で、クライアントの名前を間違えるという、取り返しのつかないミスだ。幸い、社内レビューの段階で気づいたが、私は自分の机で頭を抱えていた。 (どうしよう、また信用をなくしちゃった…) 血の気が引いていくのが分かった。その時、肩をポンと叩かれた。 佐藤上司だった。 「どうした、顔が真っ青だぞ」 「あ、部長…いえ、なんでもないです」 「なんでもない顔じゃない。ほら、これでも飲んで落ち着け」 彼はいつもの缶コーヒーを私に手渡した。私は席に座ったまま、それを受け取った。 「ありがとうございます…」 「焦ってもいいことはない。大丈夫、お前さんならできる」 彼はそう言って、穏やかに笑い、自分の部署の方へ戻っていった。
私は少しだけ落ち着きを取り戻し、コーヒーのプルタブに指をかけた。 その時、視界の端、PCモニターのフレームに貼られた真新しい付箋メモに気づいた。 さっきまで、そこには絶対に何も貼られていなかったはずだ。
見慣れた、佐藤上司の丸い筆跡だった。
『2ページ目の社名が違うぞ』
(…え?)
私は凍りついた。 (なんで、それを知ってるの…?)
解説
佐藤上司の「親切な年配の善人」「PCが苦手」という人物像は、すべて偽りである。
彼は(おそらく社内システムへの不正アクセスやスパイウェアによって)主人公のPCをリアルタイムで監視しており、主人公の行動、ミス、そして心理状態をすべて把握している。 彼がいつも「完璧なタイミング」で現れ、励ましの言葉をかけられたのは、偶然や「顔色」で判断していたからではなく、監視しているPC画面で「ミスを発見した」からである。
今回の恐怖の核心は、「メモが貼られたタイミング」にある。 佐藤上司は、主人公がミスに気づき動揺しているのを確認した後、コーヒーを持って現れた。しかし、彼は主人公と会話するだけで、メモを貼る物理的な動作は一切行っていない。
主人公が「癒し」だと思っていた励ましのメモも、すべて監視下で行われた「飼育」のようなものだった。


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